ALKALIANGEL TYPE-II  
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ショートストーリー
ひかりの風景(3) -『過去異音階未光法』

うごかない日ざしのような曲だった。

ふいにゆくえ知れずになった客人をさがして邸内をあたっていると、どこからかちいさくピアノがきこえた。
どこからか、といっても近隣に住人もない、この敷地内にはちがいないので、こころあたりはひとつしかない。
客人のゆくえは気になったものの、しずかに消えていくような旋律に、さそわれるままあるきだしていた。
廊下のさきはどちらかに折れているようで距離がみえず、 背の高い窓の外は、あかるく夢をみているようにぼんやりしている。
明度にみあった輪郭が、どうもつかめないようなのだ。
それはいっこうにかまわなかった。
ここでは、夏の日ざしもとおくやさしい。

どんな脈絡だったか、毎年夏には母方の祖母の家に帰るのだ、と話したら、なぜかしつこくついてきたがった。
かれはみじかく貴重な夏の休暇をひとりで過ごすつもりだったし、友人を、といっていいのかも判然としないその男を、つれていく気はまるでなかったのだ。
ただ、会うたびうるさかったのと、そういったプライベートな時間をいっしょに過ごすことはあまりなかったので、正直興味もあって一度なげやりに招待したらほんとうについてきた。
なにやら筋道のたたないうちに、休暇の初日に空港でおちあい、にわかの客人を助手席に乗せて長時間のドライブを敢行するはめになり、うんざりしていいものかもわからない。
ただ、となりに乗せた男がからむと、たいがいのことが思いどおりにすすまないので、それは悪い意味でもいい意味でもそうだったから、かれにはめずらしくなりゆきにまかせるようなかたちになった。
ふだんはさわがしいその男の、旅中の口数はふしぎとすくなかった。

ラインの中流に建つその屋敷は、祖母の祖母がまったくの道楽で、土地の建築家に建てさせたのだと聞いている。
建物じたいはそう大きなものではないが、その敷地は広大で、門をくぐってからたっぷり10分は歩かないとファサードも見えてこない。
よく手入れされた幾何学状の庭園の中央には、ラインの乙女に守られた噴水がしずかに水を噴き上げて、夏の緑を潤している。
庭園の中央を縫う石畳のアプローチを、客人の存在を半分ほどの意識でつかまえながらゆっくり歩いた。
すべてが1年ぶりで、きのうのようになにも変わっていない。
やがてあらわれた建物のファサードも、何十年もだまりこんでいる人のように閑かで、ひさびさの訪問客にまるで無頓着にみえた。
あせたオレンジの屋根と白い外壁、それから無数の窓。
外観はそれほど華美なものではなく、完全なシンメトリーを描く整然としたたたずまいは、ニンフェンブルク、『妖精の城』のミニチュアのようだ。
かれがおさないころ、母は、たわむれにこの家をサン・スーシと呼んでいた。
母がその宮殿を安息の地に選んだ為政者についてどれだけ知っていたものか、ただやわらかい異国語のひびきが、なによりこの館に似合う気がした。
憂いのない、夏の離宮。
中世の姫君の名をもつ母が、天空色の目に祈るようなさびしさをうつしてそう呼んだ、長い金糸の髪をそっと耳のうしろにはらうしぐさを、時間がとまったようにいつもおもいだす。
ただその無憂宮に、彼女の伴侶がおとずれることはなかったのだが。
父は夏の短い休暇さえ、本社に近い自宅からはなれようとはしなかった。
そして、無為なうめあわせをするように、かれはこの館をかならず訪れる。
とおい中世を模した、まがいもの、レプリカの安息地へ。

邸内は、質素にもみえる外観とはうってかわってどこもかしこも瀟洒で、白を基調とした室内はやさしく色あざやかな天井画と壁画と漆喰と、金の装飾でまんべんなくうめつくされている。
いまかれらが立っている、正面からはいってすぐの吹き抜けのホールは、水を題材にした天井画が頭上高くをいろどっていて、水の青をとおして空の青色さえ見えるようで、かれは気に入っていた。

そういえば車中からここまでずっとだまりこくっている客人をふりかえると、一瞬の間をおいて、金持ちなんだな。と真顔でいわれた。
べつにこれはじぶんの家ではないし、祖母だってただその母から譲り受けただけで、今はただ金がかかるばかりのしろものだ。
そう説明しても、客人はただおおきな目をさらにおおきくみひらいて、ついでにおおきな口もあけたまま、
でっかいオルゴールみたいだ、きれいだなぁ、なんか光ってるし。
なんて、遊園地のこどものようにはしゃいでいるので、いっそほほえましくてふいにおもいだした。
そういえば、この館に少女をつれてくる甘い空想が、おさないかれにはあったかもしれない。
お姫様のお城みたいね。
どこか 母に似たおもざしの、ほほえむ少女の手をひいて、西の塔につれていくのだ。
たよりなく白い手をあずけてくる少女が、たいした大男に化けたものだなととりとめなくかんがえては、ばかばかしさに笑えてくる。

やがて訪問者を迎えに降りてきた管理人に、客人がすごす部屋をあてがわせると、夕食まで好きにしていろと言いおいて、かれは図書室へむかった。
きっと珍妙な表情をしているであろう客人を、かれは一度もふりかえらなかったので、 こどものようにまたたく青い大きな目が、しばらく意識の端にいすわった。

 

丘に立つ館からは、黄金が沈むという川が見えた。
二度とひきあげられない財宝は、老将に討ち取られたかの姫君のもの。
寝物語に聞いた黄金の災厄は、異国の話のようにきこえたのに、水底には消えない悪意と、かなしみがじっと蟠っている気がしていた。
そのまがまがしい水の気配を、いまはなにもかんじない。
あるのは気配の記憶だけだ。
生まれた国の童話や伝説が異国に焦がれるように好きだった。
だからかれの少年時代は、神話と寓話ととおい悲劇が、渾然としていまはもうよくわからない。
ただ、この夏草のにおいが。

敷地内には小宮とでもいうのか、簡単な建物が散在していて、それらの間をあえて手入れのないルートを選んで行き来するのがおそろしくて好きだった。
夏の雨上がりの、夏草をふみわけ、イラクサを避けてかつてはやっと歩いていた道を、居所のしれない客人を気にかけつつも、ちかづく旋律にむけて早足で歩く。
しめった緑のにおいは、かれがまだ少年だったころの、泣きだしたいような焦燥と、どこか知れないところでリンクする。
このにおいは、現在には属さない。
きっと、かれがどこかにおいてきてしまったにおいなのだろう。
玉色の羽の虫をとじこめた壜の底で、夏の時間はとまっているのだ。
いつのまにか、あの夏はこなくなった。
それでいて、なまなましい、心臓の真横をせぐりあがるつめたさだけは、いまもかれはのみこんだまま、過去のにおいをかいでいる。
あるいは、過去でなく、それはいつでもない神話の時間。
とまってしまった時計の。
この音楽のように。

かすかな旋律をたどっていくと、案の定西の塔に行き着いた。
この塔は、祖母の代にあたらしく建てられたもので、1階は天井の高いホールになっていてときおり小さな演奏会がひらかれたが、2階には母が、そして妹が夏の間ピアノの手ほどきをうける練習室があった。
かれはピアノをひかなかった。
ピアノは、この塔は、祖母と母と妹のものだった。

鍵はどうなっていたっけ?
こどものように、螺旋階段をこころもとなくのぼっていく。
そういえば、かれはあの部屋に入ったことがないのだ。
おなじ曲を、おなじ旋律を、呪文のようにくりかえして。
そう、あそこは魔法の部屋だった。
かれはいつも、しめった夏草の中で、シューズの汚れを気にしながら、ずっと魔法の音をきいていた。
だからピアノの音は、しめった緑のにおいがする。
ピアノをひいている母の姿を、かれはけっきょくみたことがない。

木の扉の前に立って、かれはすこしおそろしいようなきもちになった。
扉をあけたら、ひょっとすると、あのころの母が、いまもピアノをひいているのでは?
幽霊ではない、ほんとうにあのころの母がピアノをひいていたら。
きいたことのないなつかしい曲を。
ドアノブにかけた手に抵抗はなく、重い扉はしずかに開いた。

はじめて見るその部屋は、邸内のどの部屋ともちがって、壁画も天井画もなく白い壁と白いピアノと、とまった時計があるだけだった。
ひとつだけ、高い位置にある小さな格子窓からさす、夕にもかすかにあかるい夏のひかりが、ピアノにむかう人物の輪郭をあいまいにして、一瞬だけ、ここにはない面影を幻視した。
ドアにたたずむかれに気づいた男が、指をとめずにかれのほうへかるく笑んで、そのときだけ時間が滞ったようにあとからおもいだした。
おおきな手が鍵盤をすべり、少々乱暴ではあるもののたしかなキィタッチで、光が散るようなアルペジオをくりかえし、小さな単音でしずかに曲をしめくくる。
拍手をするわけにもいかないから、ドアにもたれかかったままたわむれに不機嫌をよそおった。
「他人の家を勝手にうろつきまわるなんて、お嬢さんのくせにお行儀がよくないな」
「好きにしてろってゆったじゃない」
だれがお嬢さんよ、と男は椅子のせもたれに頬をあずけて屈託なくわらう。
「弾けたのか」
「これだけだよ。おまえの?」
木目の透けるアップライトをひとさしゆびではじいて、男が訊かえしてきた。
「妹のだ。今はもう弾かないようだが」
そしてそれはかつて母のもので、 その母のものでもあったのだが、そのあたりは割愛する。
「おまえは?」
「弾けるとおもうか?」
「俺よかイメージだろ」
意外そうな顔をするので、かれにはそれが意外で正直にこたえた。
「音楽は好きだが、楽器はまるでだめだな。とくにピアノはだめだ」
「なんで」
「分解したくなる」
ほら、この蓋をあけるとたくさんの弦が、みえるだろう機械みたいに。
ピアノは弦楽器なんだ。
だから中の弦のほうが気になってね。
理由にならない理由に、納得したのかふうんとだけ言って、男はひとつ鍵盤をはじいた。
すこしひずんだ音に、かれはわけもなく不安になって、早口で会話をつづけた。
「ショパンにこんな曲があったかな」
「ちがうよ。オリジナルだ」
「おまえの!?」
本気でおどろくと、男はまた笑って、ちがうよと首をふる。
「姉貴。いちばん上の姉ちゃんが俺にピアノをおしえてくれたんだ」
この曲だけだけど、とつけたして、男は右手で主題を弾いてみせた。
部屋にひとつしかない西向きの窓から、色彩のあせたひかりが、主が死んだあとも角度をかえず射しつづける。塵だけが何百年も何千年もふり積もる部屋。
音のない情景を音にした ような、しずかな曲だった。
この部屋のような曲だった。

いい曲だけど、すこしさびしい曲だな。とすなおに言うと、男は急にこころぼそくなったような顔で鍵盤から手をひいた。
「死んだ姉貴がつくった曲なんだ。俺がうまれるまえに」
ごく自然に 口にされたことばに、話のつじつまをつかめず、かれがなにもいえないでいると、男はまたおなじくらいのやわらかさでこういった。
「うそだよ」
こんどこそ脈絡がつかないので、かれが口をつぐんでいると、男はすこしあてがはずれたように苦笑する。
「死んでない。ピンピンしてるさ。おまえがなんか変におとなしいから、ちょっと怒ってほしかっただけ。不謹慎な冗談」
「そうか」
そうはいわれても怒る気にはなれなかったので、ひとことでかたづけると男はますます不可解な顔をした。
だから、
「死んでいるよりは、生きているほうがいいだろう」
とつけたしたが 、なんだかとても調子はずれなことをいったような気分になり、かれも自分自身に首をかしげる。
これ以上調子をはずすと、なんだかいわなくていいことも口にしてしまいそうなので、無難な話題をさがしてさきほどから空転している頭を叱咤しても、うまくいかない。かれなりに当惑していると、ピアノの前の男がまたふいにこう言った。
「やっぱそれもうそ」
「なんなんだおまえは」
「いやうそじゃないんだけど、生きてる姉貴は生きてんだけど、」
ことばを切ったくちもとよりも、鍵盤におかれたままの大きな手が気になって、つぎのことばをききのがしそうになった。
「死んだ姉貴もいる」
その男らしくなくおちついた、やさしい抑揚の声音を、かれはまたなにもいえず耳のなかでころがした。
ひかりも音もおなじ振動なのだ、そして重力も、すべてがちがった波のかたちなのだと、てらいのない横顔をみながら、ふいに理解する。
波がつたわるには水が必要だ。
音がつたわるには空気が必要だ。
でもひかりにはなにもいらない、ここにあるひかりのかたちは、なにもない時間から、なにもない世界から、ふいにやってくる。
死者の話をする男も、きっとそれを知っているはずだ。
ここは、ないはずのひかりがあらわれる部屋なのだから。
「いちばん上の姉貴。死んでうまれてきたんだって。やっぱり、俺がうまれる前だけどね」
かすかにほほえんでいるような表情で、会ったことのない家族のことをなつかしそうに話す、男の目の色はすこし母に似ているようで、かれは心臓の奥をにぎりこまれたような気分になる。
「うん、そういうことはふつう、かくしとくもんだけどね。かくして、なかったことにして、秘密にしちゃうんだ。でもおふくろはそれが、いやだったんだろうな。いっつもゆってた。『おまえたちには生きてるきょうだいが3人、それから死んでるお姉ちゃんがひとりいるんだよ』って」
ヘンな女だろ、と唇の端をあげてみせる男は、そんなしぐさにもありったけの愛情をみせていて、かれにはそれがむしょうにうらやましかった。

「死んでる姉貴ってなんだってかんじだけどな。おれたちにはごくあたりまえのことだったよ」
「だからこれは、死んでる姉貴のために、生きてる姉貴がつくった曲」
「なまえはないんだ。姉貴もなまえをもらわなかったから」

はじめての呼吸もしなかった いのち。
かなしみは消えないまま、やがて血はわかれ、それは悲劇でなく、家の神話になる。
ほんの数世代でしずかに消えていく、つかのまの神話。
秘密は語られ、こどもたちは、うまれなかったいのちを継いでいく。
神秘を学ぶまなざしで。
見たはずのないその光景が、とてもとうといものにおもえて、ふいに目のまえの男をだきしめたいようなきもちになったが、ピアノを弾けないゆびはうごかないままだった。
そのかわり、死んでるよりは生きてるほうがいいけれど、死んでいるのもそれほどわるいことではないな、とつぶやくと、一曲かぎりのピアニストはぽかんとして、そしてどこかうれしそうに、笑った。

「マズイ」
時間がとまったような沈黙のあと、男がふいにいつもの調子で眉をあげた。
「この話、俺の嫁さんになる女の子にきかせるつもりだったんだ」
「俗物だな。同情をひくつもりか。おまえらしい」
「わるいかよ。男だったらプロポーズのときに聞かせる話くらい、かんがえとくもんだぜ」
「じゃ、わすれてやろう。男の情けだ」
「恩に着るよ」
共犯者のように目をあわせて笑い、かれはやっと本来の方向にうごきだした時間に、かるい安堵と、一抹の未練をかんじながら、ひとつだけの小さな窓を見上げた。
もどらない時間と、存在しなかった時間と、あったはずのひかりと、うまれなかったひかり。
はたされなかった願いのように、しずかでさびしいなにかがくりかえし呼んでいる場所には、きっとあんな小さな窓がひとつあって、ずっときっとかれらがみんないなくなったあとも、はじまらなかった歌をてらしつづけているのだろう。

ながいこと鍵盤をもてあそんでいた男が、ふたたび口をひらいたときには、窓からさすひかりはあわいオレンジ色にかわっていた。
「やっぱいい」
「え?」
「わすれないでいいよ」
なんのことか、と訊くまえにおもいだして、かれは今日のほとんどをそうしていたように、口をつぐんだままでいた。
またピアノにむきなおった男は、とおい時間をたぐりよせるようにいっとき目をとじて、もうかれのほうを見なかった。
「おぼえててくれ」

そう単音のたしかさで発音して、長いゆびがゆっくりと、ふたたび主題を奏ではじめた。
きっと、ということばは、やはり口にされることなく、ただピアノをひく男にいつか、ここを無憂宮と呼んだ母のことをはなそうとおもう。

過去の光は、音のかたちをしてはいないか?

 

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